ニューヨーク・シティでは「RL」として、そしてワイルド・ギースのあいだでは「Dalando」(ドーランド)として知られています。ロバート・セルトマンは、カイ・マリアとゼン・ラファエルの二人のティーンエイジャーの子どもをもつ50代のシングル・ファーザーです。彼らの家は、ロバートが大学で英語を教えている京都の丘の上にあります。
ニューヨーク・ロングアイランドのカソリック中流家庭で育ちました。17歳のときにプラット・インスティチュートで美術を学ぶためにブルックリンに引っ越しました。あらゆる意味で刺激的だった1969年から1973年、ロバートは画家として、そして映画監督として活躍しました。政治運動や各種の文化的「冒険」にも参加しました。
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大学を卒業していくつかの都市に住みました。フロリダ州のタンパでは「The Abortion」なる映画も撮りました。その後、ロバート、才能あふれる中国人女性 Shirley Rose Pu
(アーティスト兼ファッション・イラストレーター)と結婚しました。けっきょく、ニューヨークに落ち着いたロバートはアーティストとしての模索を続けました。ニューヨークの美術界でよく知られるようになったのもこの頃です。
スリルとマネーを求めて、そして運命の出会いを求めていくつもの職業をこなしました。図書館司書にはじまり、保険会社から不動産ビジネス、はては「催眠術師」(!)まで。いくつもの職業を転々としながら、「人生という名の学校」で学びました。
80年代初頭のニューヨークでは、友人たちとともにいくつかの美術センターを設立しました(Storefront for Art and Architecture, Wedenesday at A's, NoSeNo など)。
美術はまったく儲かりませんでしたが、素晴らしき貧乏への道でした。
事故で一時的に足の自由を失ったことがきっかけとなって、世界旅行へと旅立ちました。
けっきょく、これがロバートを人生をがらりと変えることになりました。アジアです。
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美術と仏教に関心を抱きつつ、そしてニューヨーク・アートの刺激的な中毒から自らを開放すべくすべての財産を処分しました。そして、今度は四国88ケ所めぐりの巡礼者として日本へと戻りまし。しばらく東京の禅寺にて暮らしたのち、ひとりの聡明な女性と出会いました。イノコシ・レイコです。ふたりは共に京都へと移り住みました。
大学で教えながら二人そろって英語教育学の修士号を取得しました(School for International Training)。子どもは二人とも京都で生まれました。ロバートにとって子どもは本当に暖かいものでした。いまではなぜ東洋に来たのかよくわかります。父親であるというシンプルだけれども感動的な経験は、若かりし時代の刺激的な出来事よりもはるかに深いものです。父親であることは自分の理想を高く保ってくれます。
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2000年6月、妻レイコは重度のうつ病に悩まされていました。わずらっていまし。そして、自らの手で命を絶ちました。ロバート一家はいまも京都郊外の比叡平(滋賀県)で暮らしています。二人の子どもは京都インターナショナル・スクールに通っています。
毎週、ロバートは水泳やダンスそしてダイエットに取り組んでいます。シングル・ファーザーとして毎日いそがしく生活しながら、執筆活動やコンピューターそして子育てに奮闘中です。父親として教師として、そして人生の探求者として。少しずつではあるけれども進歩しているように感じています。大学が休みになる春と夏には旅行や家の手入れで忙しくなります。ロバート一家が大事にしているものは、教育、健康、そして友情です。彼らの目標はひょっとすると「求め続けること」を続けていくことなのかもしれません。
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